あれから11年、そして1年

震災から11年、そして一人暮らしして1年が経った。

最近友人に子供ができたり、結婚したり、相手を探している人が増えたように感じていたが、今まで自分の視界に入っていなかっただけかもしれない。


親が生きている間に子供を見せたいし、親からずっと急かされ続けてきて、なんとか頑張ってはいるが、誰か1人と向き合いたいという気持ちと、他にいい人がいるかしれない、今を楽しみたいという相反した感情が苦しいという話を聞いた。


条件でふるいにかけているのに何が合わない。知らない男と合う数時間にただただ無駄に感じ、自分が何を探しているかわからなくなるそうだ。なんにもない自分なのに無条件で自分を好きでいてくれた人がいたという事実は決して当たり前のことではなく、幸せなことなのだと思う。


何歳までに結婚していない人は可哀想、いくら以上稼いでないとおかしい、大企業じゃないと恥ずかしい、普通はこうだ、この世にはたくさん呪いがある。しかし、いつかそれに自分がなるとは思ってない。


否定していたものにいつか自分がなるかもしれないという恐怖、今自分たちが価値がないと切り捨てた人や考えは、この先自分がむかっていく未来でもある。


日本ほど女性が生きづらい世の中はないと思うし、その感情に男はリアルで感じ取れない。後からわかっても思いを馳せることくらいしかできない。どんな言葉も気休めにしかならないから。女性には女性社会の論理があることもわかっている、誘惑もあるのもわかっている。ただそれに打ち勝ってほしい、呪いは自分でしか解けないのだから。


大なり小なり何らかの誘惑は誰でもあるがそこに踏み入れるかどうかは別の話だ。ルールや倫理を超えた行動は自分の中に歪みを生み、もとの自分に戻れなくなる。たぶん相手はそれに気づいているが言わないだけだ。決定的な何かではないが、何かが違うという予感。ざわつき。今だけ、という免罪符は、未来を変えてしまう。


誰かを信じるということは、見えなかった部分が見えた時、それも受け止め逃げない強さのことだ。裏切れたと思うのは、その人自身を信じているのではなく、こうあってほしいという理想の相手を崩したくないだけなのかもしれない。


だから裏切れたとか、期待していたのにとか、相手の話なのではなく、揺るがない自分を持てない自分の弱さの話なんだよ。