引き出しの奥に仕舞い込んでいた古い鍵を、音もなく回した。あれから季節は何度巡っただろう。新しく始まったこと、失ったこと、変わらないこと、いくつも積み重ねの上に生きている。
まだ何者でもなかった自分が入り口に立つまで。
人生の最も眩しい光が差し込む季節は過去なのか、現在なのか、未来なのか。
記憶を揺り動かせば、真っ先に浮かび上がるのは水彩画のような旅の情景だ。不慣れな言葉が行き交う異国の街並みや、砂浜で視線を奪われた青い海。寄せては返す波の音に包まれながら、あらゆるものの永遠を疑いもしなかったあの頃の自分は、あの光の中に確かに息づいている。
コロナからのこの数年間、自分の世界でも時間は止まってはいなかった。命の重さと、それを失う痛みに深く向き合う日々があった。片時も離れず、静かに寄り添ってくれていた愛猫が旅立ったとき、部屋に残された沈黙の重さに立ち尽くした。そして、見舞いの病室に通う今、流れる時間の残酷さと、形を変えていく今を静かに思いを巡らせている。何かを失い、その空白を抱えながら、なんとか自分の足元を見つめて歩いてる
だからこそ、誰もが選択したその道に、穏やかな光が降り注ぐべきだと、心から願う。
けれど、その純粋な祈りのすぐ隣で、胸の隙間を冷たい風が吹き抜けていくような、名付けようのない感覚があることも否定できない。それは決して過去への執着ではない。こぼれ落ちていったものも含めて歩んで行かなければならないと感じるくらいに歳を重ねたということなのだろう

