あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない
昔住んでた家に今は違う誰かが住んでいる。一緒に越してきた同級生は家を売り、多摩に越したと聞いた。
昔行ったお店はもう違うレストランに変わっていた。フェスで見たアーティストは活動を辞め、あれだけ読んでいた新聞は今はもう読まなくなった。毎月泊まった狭いシティホテルも、今や行くこともなくなり、新幹線ホームで入場券を買って、見送り、丸の内に乗って帰ることも今はない。
何の愛着もなかった場所も行動も、時間の積み重ねが習慣となり愛着を生む。
しかし、そこにあるものは、与えられたものは、いつかは消える。繰り返す日々、時間についていけない感覚、鈍っていく想い、いいことばかりだけじゃない。それを受け止められるか、積み直していけるか。駄目になることも醒めることも、それも含めて選択の結果なんだ。
きっと、あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。