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舞台はLA。

主人公のジョニーは映画スター。ハリウッドのアイコン的な高級ホテル、シャトー・マーモントで暮らすセレブでどんな人にも礼儀正しく良い人なのだけれど、パーティーに明け暮れ、いろんな女性と関係を持ってしまうダメ男。豪華な暮らしをしていても空虚感を味わうのは何故だろう。

ここではないどこかへ行きたいがどこに行きたいかはわからない、人生30代半ばで行き詰まっている所はセレブじゃない私たちでもよくある話。

ある日、離婚した妻がしばらく娘を預かって欲しいと言ってくる。母親にも一人になる時間が必要なのは当然のこと。子育てとは無縁だったジョニーと11歳のクレオの、久しぶりに暮らす父娘のぎこちなく切ない時間が静かに流れていきます。11歳がただの無邪気な子供でないことは経験から知っている

親なしでは生きていけない立場ゆえの不安や葛藤。人間的にはまだ未熟な父、ジョニーに今の自分を投影して、愛に飢えた幼い娘クレオに昔の自分を投影する。

クレオ、ジョニー、その親友3人が、同じテーブルに座ってエッグベネディクトを食べる朝のシーン。まだ寝ている父を思ってキッチンに立つクレオの。 体全部で愛を訴えるクレオに触れて、空っぽだったジョニーの心もしだいに動き始める。

1日の始まりを誰とどういうふうに過ごすのかは意外とその日1日まるごと全部に影響を与える。

人生半ばで孤独や空虚感を経験することは、人として成長するために大事なことなのだろうか。もがきながら見つけた愛はそのまま自分への希望となって……。人は誰でも、自分への希望に包まれて目を覚ますシンプルな朝を求めているだけかもしれない