その便利、必要ですか?

ここ数年のテクノロジーの進化は、僕たちの生活をガラリと変えた。僕が中学生の時、ネット通販なんてろくなものを売ってない危険なモノと見なしていたし、聞きたい曲があればなけなしのお金を持ってツタヤにチャリで行っていた。誰かと話すときも、携帯なんてあってもないようなものだったから、塾や部活が友達に会いに行く口実だった。平成生まれではあるけど、まだネットも今ほど普及していなかったから情報を得るにも一苦労でよく祖父に電話して質問したり、図書館に行ったりと、何かを得るにはそれ相応の苦労みたいなものがあった。

 

でも、僕はこの時代が不便だったとは思わない。むしろ何かを得る為には、それ相応の対価を払い、汗をかくべきものだという考えが身に付いたからだ。手軽に得られる楽しさは、消えていくのも早いように思う。

 

世の言う、便利さが本当に便利なのかと気づいたのは18くらいだったかもしれない。当時、デフレ真っ只中だった日本は松屋吉野家などのファストフード店でし烈な価格競争が行なれていた。たしか価格は280円とかそんくらいだった。最初はその安さに感激していたし、しかも24時間営業。なんて便利な社会だなんて感激したりもしていた。

 

でもある時に気付いた。この安さを実現するのに、安い賃金で長時間使われる労働者の存在が不可欠だ。そして彼らは従業員であり、消費者である。この一杯のメシが運ばれるまでに一体どれくらいの取引業者がいるのだろう。想像したのだ。

 

結局、安さや長時間を売りにした競争は、ただパイを奪い合い、市場を大きくしない。一度下がった価格や長時間化した営業時間は、他の競合とのひしめきあいの中で、なかなか是正出来ず、この積み重ねは物価上昇を遠のかせる一因となり、関係ないように思っている我々客にもその影響は巡り巡ってくる。安さの裏には理由がある、一杯の牛丼が我々にいつも問いかけている。

 

そして最近、アマゾンやネット通販の普及に伴い、物流量が増大し、宅配業社も厳しい状態に置かれている。時間指定しているのに自宅にいない消費者、突然今持ってこいという消費者。「明日届く」という驚異的なスピードにばかりに目をやって、その裏に何があるのか彼らが考えることはないのだろう。

 

今ある便利さのほとんどが「お客様は神様」という思想のもとの無茶な要求の上に成り立っているのでないか。誰かが便利になるために誰かに過度な負担を強いるようなシステムは本当に便利なのか?服なんて明日に届かなくていいだろう、家にあまりいないなら直接、宅配業者の物流センターに取りに行け。世のサービスが生活者に合わせた形として生まれるならば、働き改革なんてしても意味をなさない。関係ないように思える昨今の過労死事件は、企業と労働者の話ではなく、企業と労働者と消費者の話なのだ。我々が支持しなければ、企業は消えていくはずなのだから。

 

宅配だけの話ではない。レストランやホテルでクレームを付ける客。何かを言えば、ネットに書かれるというリスクを負った側は、そんな客をも無碍には出来ない。日本は「ブラック消費者大国」だと思う。企業にブラック企業というレッテルを張るのもいいが、そもそもその企業で働く労働者であり、消費者である我々のマインドが変わらなければ、取引先にも無理難題を平気で突き付けるだろう。

 

でもそうして得た「楽さ」や「便利さ」の裏にある歪みは、必ず最後何らかの形で自分に降りかかるだろう。
断わる勇気を持とう。客は神様ではない、おかしいものは突き返す一線を持とう。こんな便利になったように見えて、疲弊した街ゆく人々を見て、変わらない日本の産業構造を見て、そんな便利やめちゃえば?と僕は思う。