電通。他人依存の国、ニッポン。

 昨日、東京大学卒の電通で働いていた女性の自殺に労災が認められた。個人的に気になる出来事であり、インターネット空間にある様々なコメント見た。そこで僕は違和感を覚えた。

 

コメントは、大きく3つのタイプに分けられた。

  1. 「優秀だったのに本当に可哀想」という同情的なもの。

  2. 「これが報酬の対価。電通なんてろくな会社ではない」という頭ごなしの電通批判。

  3. 「本当に頭の良い人は電通には行かない」「自分は幸せだ」という事件を通して、自分の正しさを認識するかのようなコメント。

 

嫌な言い方ではあるが、2、3のようなタイプのコメントをしている人間は、「電通」と関わりのない階層の人間だと思う。仮に知り合いに一人でも電通で踏ん張って働いている人間や、本質と向き合い続けCMを制作している人間がいるならば、この悲惨な事件を、そんな鈍った刃で切り取ったような、お粗末な切り口で言葉を発したりしないだろう。

 

10年前の過労死事件を反省していないと、誰かが言う。真偽の分からない噂話や2ちゃんに落ちているような情報を元に、善悪論で語っても現実は変わらない。また10年前の繰り返し。

 

事の本質にはさほど興味などなく、ただいい会社に入れなかったから大企業は駄目だと言い、学がないから東大出ても意味がないと言い出す。世の中には、何かと比較することでしか自分の生き方を肯定出来ない人間が作り出した価値観で溢れている。

 

こういった事件が起きる度、自分なりの価値観や考え方を持たない人間は、誰かの流した情報やランキングに踊らされて、永遠に他人の人生を生きるのだと思い知らされる。